郵便学者・内藤陽介のブログ -4ページ目

 再軍備反対

 1950年6月に朝鮮戦争が勃発すると、日本に駐留していた米軍の兵力は朝鮮半島に派遣されます。この軍事的空白を埋めるために作られたのが警察予備隊で、それが現在の自衛隊のルーツとなっていることは皆さんもご承知の通りです。


 警察予備隊の発足は日本の戦後史にとって非常に重要な出来事なのですが、いざ、それを切手やカバー(封筒)等で表現しようとすると、ピタリとはまるマブツを日本関連のマテリアルの中から探してくるのはなかなか容易ではありません。で、ちょっと視点を広げてみると、中国にこんなものがありました。


 再軍備反対のスローガン印


 このカバーは、1951年6月、汕頭から差し出されたものですが、下のほうに紫色で日本の再軍備に反対するスローガンの印が押されています。その趣旨を要約すると「8年間(に及ぶ日中戦争)の犠牲と深い恨みを忘れるな。我々はアメリカ帝国主義による日本の再軍備に断固反対する」といったことになりましょうか。「美帝重新武装日本」の文字が、非常にストレートです。なお、同じ文面のスローガン印には、ここでご紹介しているもののほかにも、いくつかのタイプがあります。


 当時の中国は、朝鮮戦争に人民志願軍を派遣しており、直接米軍と戦火を交えていましたから、日本の再軍備によって朝鮮に派遣される米軍兵力が増強されるのは望ましからぬシナリオでした。同時に、再び軍事力を持つようになった日本がアメリカの指揮の下、朝鮮戦争に参加してくるのではないかとの懸念もぬぐえなかったものと思われます。今回のスローガン印は、そうした事情から、中国各地の郵便局で郵便物に押され、共産党政府のプロパガンダの一翼を担うことになったわけです。


 さて、今月1日にスタートした「反米の世界史:切手が語るアメリカ拡大の歴史」展(東京・白金の明治学院大学 キャンパス内のインブリー館にて開催中 10:00~16:30 入場無料 詳細はトップのポスター画像をクリックしてください)も、いよいよ、本日(10日)をもって最終日となりました。今回ご紹介しているカバーのように、今年6月に上梓した拙著『反米の世界史 』には採録されていない図版も含め、アメリカと戦ってきた過去を持つ国々のマテリアルを横断的に見比べていただけるように展示を構成しています。ご関心の向きは、ぜひとも、会場までお運びいただけると幸いです。(今日は僕も会場に終日詰めていますので、お気軽にお声をおかけください)

 お酉さま

 今日(11月9日)は“お酉様”の日です。酉年のお酉様というのは12年に1回(いや2~3回というべきか)しかないレアな機会なので、何かネタはないかと探してみて、こんなものを引っ張り出してきました。


 ベトナムの鶏


 この切手は、ベトナム戦争さなかの1968年に北ベトナムで発行されたもので、北ベトナム支援の一環としてハンガリーで印刷されたものです。


 現在、東京・白金の明治学院大学 キャンパス内のインブリー館にて開催中(いよいよ、明日10日まで!)の「反米の世界史:切手が語るアメリカ拡大の歴史」展(10:00~16:30 入場無料 詳細はトップのポスター画像をクリックしてください)では、この切手は展示していないのですが、キューバやベトナムなどの反米ネタをソ連やハンガリー、中国、北朝鮮などがどのように取り上げているか、横断的に見比べていただけるように展示を構成しています。それらを見ていると、同じ題材を取り上げていても、それぞれのお国柄うかがえて、興味深いものです。ご関心の向きは、ぜひとも、会場までお運びいただけると幸いです。(今日・明日は僕も会場に終日詰めていますので、お気軽にお声をおかけください)


 ところで、今年の年賀状に僕はこの切手の画像を使いました。郵便学者という看板を掲げている以上、なんらかのかたちで年賀状では切手や郵便で干支を表現しているのですが、それだけではおもしろくありません。そこで、ここ数年は、新年の抱負ということで、その年の内にしあげたい本の内容に関連する国や地域の切手を選ぶことにしています。で、今年の場合は、7年ごしの仕事であった『反米の世界史 』(この辺の事情については郵便学者の舞台裏(講談社) をご覧ください)になんとしても決着をつけたいと考えて、北ベトナムの切手の中から、この切手を選んだというわけです。


 おかげさまで、本のほうは、無事6月に刊行となりましたし、そのプロモーションを兼ねた個展も無事に開催することができました。


 そろそろ、来年の年賀状の題材を考えないといけない時期になりましたが、さてさて、何にしましょうか。片付けなければならない仕事は山のように溜まっていますので、選ぶべき題材がなくって困るということはないのですが…。

 悪魔の手

 1980年に始まるイラン・イラク戦争の本質は、前年(1979年)のイスラム革命でイラン国内が混乱している隙に乗じて、国境問題を有利に解決しようとしたイラクのサダム・フセイン政権が起こした侵略戦争ですが、当時の国際社会は、革命の波及を恐れて、とにかくイランを勝たせないように、イラクを支援していました。

 こうした国際社会に対して強い不信感を抱いていたイランが、1983年の国連の日に発行した切手が↓の1枚です。


 五大国という悪魔


 切手の中央には、大きく、悪魔の腕が描かれています。


 この腕はニューヨークの国連ビル(国連のマークもついている)から伸びており、“(安保理常任理事国の持っている)拒否権”を意味するVETOの文字が大書されています。また、5本の指のそれぞれにはUS、UKなど5大国の国号が入っています。悪魔の手は地球の上にのびており、5大国による世界支配の野望というイメージが表現されています。


 そして、そうした悪魔の腕を、柄の部分に緑色でイランの国章を記した正義の剣が断ち切る、というのがこの切手のデザインのポイントです。


 イスラム革命をつぶすために侵略者イラクを一致して支援している国際社会に対する強い不満がストレートに表現された1枚ですが、これほどまでに直截な国連批判の切手というのは、他に例がないのではないかと思います。


 さて、今週木曜日・10日まで東京・白金の明治学院大学 キャンパス内のインブリー館にて開催中の「反米の世界史:切手が語るアメリカ拡大の歴史」展(10:00~16:30 入場無料 詳細はトップのポスター画像をクリックしてください)では、今日ご紹介した切手をはじめ、今年6月に上梓した拙著『反米の世界史 』で使った図版の実物を中心に展示しています。


 会期も残り少なくなりました。ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。

 恐慌のない世界

 今日(11月7日:ロシア暦10月25日)は1917年にロシアで10月革命が起こって、社会主義政権が誕生した日です。


 というわけで、戦前のソ連(1922年成立)で、資本主義に対する社会主義の優越を示す意図を持って作られた絵葉書をご紹介してみましょう。


 世界恐慌


 この絵葉書は、大恐慌の起こった1929年と1931年を比較して、主要各国の鉄鋼生産量がどれほど落ち込んでいるのか、グラフで示したものです。フランス・イギリス・ドイツ・アメリカと並んで、ポーランドが取り上げられているところが、我々日本人の感覚ではちょっと違和感があるかもしれません。


 当時、ソ連は第1次5ヶ年計画が順調に進んでいたこともあって、恐慌が周期的に発生する資本主義社会に対して、“恐慌のない社会主義”の優越性を盛んにアピールしていました。この葉書も、その一環として作られたものです。


 1930年代にドイツのヒトラー政権が直接的な脅威になるまで、ソ連(前身のボルシェビキ政権時代を含む)は、資本主義に対する社会主義の優越を示すためにさまざまなプロパガンダ絵葉書を作っていました。その際、“資本主義世界のチャンピオン”であるアメリカは、資本主義の矛盾が凝縮された存在として、揶揄的に取り上げられることがしばしばでした。


 今回の絵葉書でも、アメリカの落ち込みが一番大きいことが示されており、資本主義が発達すればするほど、その反動も大きいのだ、という彼らの主張が表現されています。


 さて、10日まで東京・白金の明治学院大学 キャンパス内のインブリー館にて開催中の「反米の世界史:切手が語るアメリカ拡大の歴史」展(10:00~16:30 入場無料 詳細はトップのポスター画像をクリックしてください)では、今日ご紹介した絵葉書をはじめ、今年6月に上梓した拙著『反米の世界史 』で使った図版の実物を中心に展示しています。ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。

 ベトナムの女性兵士

 現在、東京・白金の明治学院大学 キャンパス内のインブリー館にて「反米の世界史:切手が語るアメリカ拡大の歴史」展 (10:00~16:30 10日まで。本日・6日は13:30から展示解説あり。入場無料)を開催していますが、会場にお越しいただいた方から、今まで自分では気づかなかった興味深いご指摘をいただきました。ちょっとご紹介してみたいと思います。


 まずは、この切手をご覧ください。


 米兵を連行する女性兵士


 この切手は、ベトナム戦争中の1967年にベトナム民主共和国(北ベトナム)が発行した米軍機撃墜2000機記念の切手です。


 以前の記事 でもご紹介しましたが、当時の北ベトナムでは、米軍機の撃墜数が節目に達すると、そのたびに、強烈なデザインの記念切手を発行してきました。その最初のものが、1965年8月の500機撃墜記念の切手で、1973年11月に4181機撃墜記念の切手が発行されて“打ち止め”になるまで、1966年4月には1000機撃墜、同10月には1500機撃墜、1967年6月には2000機撃墜、同11月には2500機撃墜、1968年6月には3000機撃墜、1972年6月には3500機撃墜、同10月には4000機撃墜、といったペースで記念切手が発行されています。


 今回ご紹介している切手は、有名な報道写真をもとにデザインが作られたものですが、ある参観者の方から、女性兵士が自分の身体よりもはるかに大きな米兵を連行しているという点に注目すると面白いよ、というお話をいただきました。


 その方によると、ベトナム戦争では女性兵士が非常に重要な役割を果たしていましたが、そのことは、今回の反米展に展示されている切手を見てもよくわかる、というのです。たしかに、そういわれてみると、この切手を含め、切手に描かれている戦闘場面では女性兵士の姿が非常に目立ちます。


 日本人のイメージでは、戦争と女性というと、軍需工場で働く姿か、あるいは、一昨日の記事 (厳密に言うと、この切手は満州国が発行しようとしたものですが)に見られるように、子供を抱えて出征兵士を見送るもの、というイメージが非常に強いのですが、ベトナム人のイメージはこれとは全く違っているわけです。


 このように、戦時に発行されている切手において、女性がどのように描かれているかを国ごとに眺めてみると、その国の“女性”のあり方がみえてくるのではないか・・・というのが、会場で僕に話しかけてくれた方のご指摘でした。以前、アメリカ切手に描かれた女性のイメージについて短い文章を書いたことがありましたので、そうした仕事と組み合わせて、このアイディアを膨らませていけば、それこそ、新書1冊分くらいのネタには困らなさそうです。


 このように、参観者の方々とお話して新たな刺激を受けると、展覧会、特に、自分の個展をやってみてよかったとつくづく思います。


 さて、くどいようですが、10日まで東京・白金の明治学院大学 キャンパス内のインブリー館にて開催中の「反米の世界史:切手が語るアメリカ拡大の歴史」展(10:00~16:30 入場無料 詳細はトップのポスター画像をクリックしてください)では、今日ご紹介した切手をはじめ、今年6月に上梓した拙著『反米の世界史 』で使った図版の実物を中心に展示しています。本日(6日)は13:30より展示解説も行いますので、みなさん、遊びに来ていただけると幸いです。


 ◆東京・目白の<切手の博物館 >で開催中の「皇室切手展」は、いよいよ、本日(6日)が最終日です。会場では、戦前の皇室のご婚儀に関連する切手の名品を多数、展示しています。めったに見られない名品が目白押しですので、ぜひ、お見逃しなきよう!

 歴史的考証?

 東京・目白の<切手の博物館 >3階で開催中の「皇室切手展」も、いよいよ、明日(6日)までとなりました。今日(5日)は、夕方17:15から拙著『皇室切手 』刊行記念のトークも行いますので、ぜひとも、遊びに来てください。


 さて、今回の皇室切手展は、明治神宮と逓信総合博物館、それに多くの収集家の方々のご協力で実現したもので、ぜひともご覧いただきたい名品が目白押し(別に駄洒落ではありません。念のため)ですが、いわゆる“新高額切手”関連の資料は、10月30日の記事 でご紹介した“松喰鶴”の未裁断シートと並んで、今回の展示の両横綱といえます。


 新高額切手というのは、関東大震災後の1924年に発行された神功皇后を描く5円と10円の切手(↓はその5円切手)のことです。


 新高額切手


 神功皇后を描く5円・10円の切手は1908年にキヨッソーネの原画を元にしたデザインの切手(旧高額切手)が発行されていましたが、この切手の原版が関東大震災に寄って焼失したため、日本人デザイナーの吉田豊によって新たな原図がつくられ、それを元に森本茂雄が原版を彫刻しました。


 その際、顔つきが日本風(キヨッソーネの肖像は、なんとなく、西洋人の雰囲気が漂っていた)に改められたほか、髪型も変更されました。さらに、肖像の周囲には、古墳の壁画などに見られる直弧紋と呼ばれる文様も配されています。


 こうした一連の変更を、当時の逓信省は「考古学上の交渉を加えた」と説明していますが、そもそも、神功皇后の物語そのものが(仮に何がしかのモデルがあったにせよ)基本的には神話・伝説の域を出ないものですから、こうした苦しい説明をする必要があったのかどうか、現代の我々の感覚では大いに疑問です。


 さて、東京・目白の<切手の博物館 >3階で開催中の「皇室切手展」では、その新高額切手の試作品(担当者がチェックしたことを示す印がベタベタ押されています)のほか、プラハで開催された国際切手展に際して贈呈用として作られた小型シート2点(5円・10円各1点)が展示されています。いずれも、現物が揃って展示されるのは、今回が初めてのことです。


 会期は明日(6日)までですので、ぜひとも皆様、お見逃しなきよう。


 ◆ 10日まで東京・白金の明治学院大学 キャンパス内のインブリー館にて「反米の世界史:切手が語るアメリカ拡大の歴史」展 (10:00~16:30 5・6の両日には13:30から展示解説あり。入場無料)を開催中です。会場では、今年6月に上梓した拙著『反米の世界史 』で使った図版の実物を中心に展示しています。本日(5日)は13:30より展示解説も行いますので、こちらにもお運びいただけると幸いです。

 焼け石に水

 昨日は文化の日の祝日であったことに加え、会場の明治学院が学園祭であったこともあり、開催中の「反米の世界史:切手が語るアメリカ拡大の歴史」展 (10:00~16:30 3・5・6の各日には13:30から展示解説あり。入場無料)にも大勢のお客様をお迎えすることができました。この場を借りて、お礼申し上げます。


 さて、今回の反米展では“鬼畜米英”を叫んでいた時期の日本関連のマテリアルもいくつか展示していますが、その中には、こんなものも含まれています。


 満州不発行1   満州不発行2


 終戦直前、満州国は寄付金つき切手を発行して戦闘機を購入することを計画。このため、額面3分に対して47分、6分に対して44分というべらぼうな寄付金(300円の切手に4700円の寄付金をつけるようなものです)をつけた上のような切手を準備しています。


 このうち、赤い6分の切手には“撃滅宿敵”の記述も見られますが、ここでいう宿敵が“鬼畜米英”を指していたことはいうまでもありません。


 しかし、1945年8月9日、日本と満州国にとっては寝耳に水でソ連軍が攻め込んできたため、満州国はあっけなく崩壊。それに伴い、この切手も発行されないままに終わりました。


 もっとも、仮にこの切手が発行されて、寄付金を集めて戦闘機を買えたとしても、その台数はたったの3台。これじゃぁ、どっちにしても“焼け石に水”という感じがしないでもありません。


 さて、10日まで東京・白金の明治学院大学 キャンパス内のインブリー館にて開催中の「反米の世界史:切手が語るアメリカ拡大の歴史」展(10:00~16:30 3・5・6の各日には13:30から展示解説あり。入場無料 詳細はトップのポスター画像をクリックしてください)では、この切手をはじめ、今年6月に上梓した拙著『反米の世界史 』で使った図版の実物を中心に展示しています。週末ももちろんやっていますので、みなさん、遊びに来ていただけると幸いです。


 ◆東京・目白の<切手の博物館 >では、6日(日)まで「皇室切手展」を開催中です。会場では、戦前の皇室のご婚儀に関連する切手の名品を多数、展示しているほか、11月5日の17:15からは『皇室切手 』刊行記念のトークを行いますこちらにも、是非、お運びください。

 裕仁親王の立太子礼

 今日(11月3日)は、旧明治節(明治天皇の誕生日)です。


 謹厳実直で“現人神”を演じきった明治天皇が“理想の君主”の一人とされていたのに対して、病弱でリベラルな考え方の持ち主であった大正天皇(なにせ、「天長節のセレモニーを8月末の暑い時期に行うのは国民に気の毒だから、2ヶ月後らせて10月末に行うようにしよう」なんていいだすお方ですから…)の評判は、国家指導層の一部では芳しいものではありませんでした。このため、息子の裕仁親王(後の昭和天皇)に、「父親のようになってもらっては困る、お祖父さんのように立派な人に育って欲しい」という期待をかける元老・高官が少なからずいたことは広く知られています。


 裕仁親王が皇太子であることを正式に内外に宣明する立太子礼が、明治天皇の誕生日である11月3日という日付を選んで行われたのも、そうした空気とは無関係ではないように思われます。


 さて、裕仁親王の立太子礼というと、下の切手が有名です。


 かんむり


 切手の題材は、空頂黒幘とよばれる冠。儀式の際、皇太子がかぶるもので、柳葉という台の上に載せられています。スッキリしたデザインとブルーの凹版印刷がよくマッチしていて、印刷物としての出来栄えはなかなかのものです。なお、額面の“拾銭”の両脇に、蝶の紋様が描かれていることから、昆虫切手の間でも人気のある1枚です。


 なお、この切手の発行枚数は8万6000枚しかなかったため、発行当初から、収集家の間ではプレミアつきで取引されており、日本の記念切手の中では、特に高価なものの一つとなっています。カタログの評価では、標準的な状態のもので1枚18万円ですが、実際にはもっと安く買えるはずです。また、残存数は決して少なくないので、お金さえあれば、入手はそれほど難しくありません。


 さて、この切手を含め、裕仁親王の立太子礼と切手については、拙著 『皇室切手 』でもいろいろと説明していますので、ご興味をお持ちの方は、是非、ご一読いただけると幸いです。


 また、東京・目白の<切手の博物館 >では、6日(日)まで「皇室切手展」を開催中です。会場では、戦前の皇室のご婚儀に関連する切手の名品を多数、展示しています。11月5日の17:15からは『皇室切手 』刊行記念のトークを行う予定ですので、是非、遊びに来てください。


 ◆ 10日まで東京・白金の明治学院大学 キャンパス内のインブリー館にて「反米の世界史:切手が語るアメリカ拡大の歴史」展 (10:00~16:30 3・5・6の各日には13:30から展示解説あり。入場無料)を開催中です。会場では、今年6月に上梓した拙著『反米の世界史 』で使った図版の実物を中心に展示しています。本日(3日)は13:30より展示解説も行いますので、こちらにもお運びいただけると幸いです。

 リビアの反米切手

 昨日からはじまった「反米の世界史:切手が語るアメリカ拡大の歴史」展 (10日まで東京・白金の明治学院大学 キャンパス内のインブリー館にて、10:00~16:30 3・5・6の各日には13:30から展示解説あり)は、今年6月に上梓した拙著『反米の世界史 』でつかった図版の実物を中心に展示を構成していますが、本では取り上げられなかったテーマや切手も一部、追加的に展示しています。


 その一例が、たとえば、こんな切手です。


 リビアの小型シート


 これは、1988年、リビアがアメリカによるトリポリ空爆2周年を期して発行した小型シートです。


 1969年にリビアを掌握したカダフィ大佐は、反米・反西側の姿勢を鮮明に掲げて、欧米諸国に対抗するテロ組織を支援してきました。そうしたなかで、1986年、西ベルリン(当時)で、米軍関係者が多数出入りしているディスコでの爆破事件が起きると、リビア政府が事件の黒幕であると断定したアメリカは、報復として、カダフィの暗殺を目的に、首都トリポリへの大規模な空爆を行いました。空爆の結果、トリポリ市内は破壊され、多数の民間人が犠牲になりましたが、カダフィ本人は逃げ延びます。これに対して、1988年、リビアは空爆への報復として米パンナム航空機爆破事件を起こし、270人もの死者を出しています。

 

 切手は空爆から2年が過ぎ、パンナム機事件が発生した1988年に発行されたもので、瓦礫の山となったトリポリ市内のようす(上段左)や空爆の瞬間(上段右)、負傷した少女を見舞うカダフィ(中段右)等が取上げられているほか、シートの余白には“AMERICAN AGRESSION”の文字もはっきりと読み取れます。

 

 もっとも、僕なんかの目からすると、切手のデザインには、なんとなく出来損ないのアメコミの雰囲気が濃厚に漂っているような気がしてしまうのですが…。

 

 さて、この切手の実物は、10日(来週木曜日)まで開催中の「反米の世界史:切手が語るアメリカ拡大の歴史」展 の会場でごらんいただくことができます。この他にも、会場では拙著『反米の世界史 』でつかった図版の実物を多数展示していますので、是非、遊びに来ていただけると幸いです。

 

 ◆トップページの右側、カレンダーの下にあるテーマ一覧の反米の世界史(含反米ネタ) ( 15) をクリックすると、今回のイベント関連の過去の記事(ただし、必ずしも、その全てが今回、展示されているわけではありませんが)をご覧いただけます。よろしかったら、こちらもどうぞ。 

 米軍出て行け(日本語版)

 今日(11月1日)から、いよいよ、「反米の世界史」展がスタートします。一人でも多くの皆様に会場にお運びいただけると幸いです。今日から3日間は、会場のある明治学院大学 は大学祭だそうで、そのことが吉と出てくれることを僕としては、ひたすら祈るばかりです。


 さて、お祭といえば、夕方からは東京・新宿のロフト+1で恒例の「北朝鮮祭り:朝流ナイト」が開催されます。僕の個展と日程が重なったのは全くの偶然ですが、今回もお呼ばれしているので、よほどのことがない限り、ゲストとして顔を出してくるつもりです。


 というわけで、今日は「反米の世界史展」に並べているものの中から、北朝鮮がらみでこんなものをご紹介してみましょう。



 日本語の入った北朝鮮切手


 この切手は、1978年に朝鮮労働党の30周年を記念して発行された切手の1枚で、統一朝鮮の地図をバックに祖国統一を訴える人民という、まぁ、かの国にとっては良くある題材が取り上げられています。これだけなら、良くある北朝鮮の反米切手なんですが、よくよく見てみると、なんと、左側から中央にかけて上の列のプラカードに「南朝鮮から」「米軍出て行け」という日本語のスローガンも書かれているではありませんか。


 1978年といえば、韓国(この切手の表現では“南朝鮮”)は朴正煕時代の末期です。すでにこの時期、北朝鮮経済は危機的な状況に陥っており、その強権的な体制のありようは外国でもそれなりに知られるようになっていましたが、日本国内では、進歩的な北朝鮮と独裁国家・韓国という構図を信じる人がまだまだ相当いた時期です。それだけに、北朝鮮としては、自分たちの主張が日本でも一定の支持を集めていることをアピールしようとして、こういうデザインの切手を発行したのではないかと考えられます。


 さて、くどいようですが、11月1~10日(10:00~16:30)、東京・白金の明治学院大学 キャンパス内のインブリー館を会場に、「反米の世界史:切手が語るアメリカ拡大の歴史」展を開催します。この展覧会は、その名の通り、拙著『反米の世界史 』でつかった図版の実物を中心に展示するもので、今日ご紹介の切手の実物は、「反米の世界史」展の会場でもご覧いただけます。入場は無料ですから、是非、遊びに来ていただけると幸いです。

 

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