郵便学者・内藤陽介のブログ -17ページ目

 メキシコの“黒人”切手

 昨日から今日の午後にかけて、サーバーのメンテナンスの関係で、このブログにアクセスすることが出来なくなり、皆様にご迷惑をおかけしました。


 で、復活したので、新たな記事をアップしようと思っていたところ、メキシコで発行された漫画の切手(↓)が、アメリカ国内で物議をかもしているというニュースが飛び込んできました。とりあえず、速報としてご紹介しておきます。


 メキシコの切手


 この切手は、6月29日に発行されたもので、メキシコの代表的な漫画「Memin Pinguin」を題材としたものです。この漫画は、1940年代にスタートし、現在まで続いているもので、日本で言えば、まぁサザエさんとか鉄腕アトムとか、そのクラスに相当するんでしょう。主人公の黒人少年は、漫画特有の誇張された表現で、分厚い唇と大きく見開いた目という、黒人(アフリカ系アメリカ人)のステレオタイプに一致する容姿となっています。そして、白人たちが少年の容姿やしゃべり方や振る舞いをからかって、笑いのタネにするというのが、この作品の一つのポイントになっています。


 この切手に対して、アメリカ国内では、ジェシー・ジャクソンをはじめ黒人指導者が、黒人差別を助長するものとして猛反発。メキシコ政府に対して、切手の発売中止を求めているとのことです。


 一方、メキシコ郵政当局の担当者は、切手は黒人を差別するものではなく、その意図もないと説明。「男の子はメキシコ文化の一部を表す伝統的なキャラクターだ」と主張しており、両者の主張は平行線をたどっています。


 ただ、今年5月、メキシコのフォックス大統領が、「メキシコの労働者は米国で、黒人さえやりたがらないような仕事をして、米国社会に貢献している」と発言し、アメリカの黒人社会から猛反発を受けているという経緯があるだけに、この問題、ちょっと長引きそうで、僕としては目が話せないところです。


 ★★★ イベント告知 ★★★
 

7月5日(火)、 新宿ロフトでトークイベント 「復活!!!!北朝鮮祭り~最近の北鮮総括!」に登場します。よろしかったら、遊びに来てください。 (詳細はhttp://www.piks.or.tv/ をご覧ください)

 タコの日

 今日は半夏生。関西や瀬戸内の一部では、半夏生にタコを食べる習慣がある(夏至にも食べるのだと聞いたことがあります)とかで、7月2日は“タコの日”になっているんだそうです。


 で、タコがらみの何か面白いネタはないかと探していたら、こんなものが出てきました。


 昭和天皇のカリカテュア


 日本人の感覚からすると違和感がありますが、アメリカ人の中には、政治的スローガンの入った封筒を私信で用いる人が少なくありません。これは、郵便が差出人から名宛人に届くまでに、多くの人間の目に触れることを利用して、郵便物そのものを広告として活用してしまおうという発想によるものです。そうした“広告カバー”のうち、戦時に戦意高揚のスローガンやイラストなどを刷り込んだものを“愛国カバー”と呼ぶことがあります。


 愛国カバーの歴史は古く、既に南北戦争時には本格的に使われてましたが、対日戦争であった太平洋戦争でも、さまざまな愛国カバーが民間で作られています。


 今日、ご紹介しているのはその一つで、大ダコに見立てた昭和天皇に対して、米軍の鉄槌が下されるというイラストが描かれています。フィリピンまで延びていたタコの足は既にちょん切られており、日本軍の勢力範囲が着々と狭められている様子が戯画化されて取り上げられています。なお、このカバーに関しては、料金無料の軍事郵便であるため、切手は貼られていません。


 国家の名において公式に発行される切手や消印は、いくらどぎついモノとはいえ、ある程度の節度が求められます。それに対して、昨日のアヘン戦争のカリカテュアもそうですが、民間が売るために作るカバーのイラストは、“お客”を意識して、俗語や卑語も使い、より刺激の強い内容になりがちです。


 そうした行儀の悪さは、槍玉に挙げられた側にとっては不愉快なものですが、人々の直截な感情を表現したものとして、資料的にはいろいろと興味をそそられるものであることは間違いありません。その意味では、感情的な好悪とは別に、愛国カバーはいつか真面目に取り組んでみたい材料ではあります。



 ★★★ イベント告知 ★★★
 

7月5日(火)、 新宿ロフトでトークイベント 「復活!!!!北朝鮮祭り~最近の北鮮総括!」に登場します。よろしかったら、遊びに来てください。 (詳細はhttp://www.piks.or.tv/ をご覧ください)

 アヘン戦争のカリカテュア

 7月1日というのは区切りの良い日だけに、いろんな記念日が重なっていますが、僕としては個人的に1997年の香港返還が印象に残っています。


 意外と見落とされがちですが、アヘン戦争の起こった1840年はイギリスで世界最初の切手が発行された年でもあります。


 ところで、当時のイギリスでは、世界最初の切手と同時に、料金込みの封筒(この封筒を使えば、切手を貼らなくても郵便物を出すことができた)を発行しました。この封筒には、イラストとして、大英帝国が進出していった世界各国の風景が描かれており、近代郵便のネットワークが世界を結ぶというイメージが表現されています。この封筒は、イラストの作者の名前を取って“マルレディ・カバー(カバーは封筒の意味)”とよばれています。


 イギリス政府としては、切手よりもこのマルレディ・カバーのほうが人気が出ると思っていたのですが、実際には、マルレディ・カバーはとても評判が悪く、そのデザインをおちょくったカリカテュアの封筒がいくつも民間で作られています。


 パロディ封筒


 この封筒には、左下に清朝の官吏に痛めつけられる“哀れなアヘン商人”の姿が描かれており、当時のイギリスの重要な政治問題であった中国とのアヘン貿易が取り上げられています。ただ、イラストの筆致からすると、イラストの作者は、アヘン貿易を妨害する清朝のほうに非があると見ているようで、こんなところからも、当時の大英帝国の世界観の一端が透けて見えるように思います。


 1997年の香港返還を前に、僕は『切手が語る香港の歴史―スタンプ・メディアと植民地 』という本を出版しました。今回のカバーは、その制作時には間に合わず、この本には掲載できませんでした。


 あれから8年が過ぎ、香港関係のマテリアルもそれなりに増えてきましたので、そろそろ、1997年に出した香港本のリニューアル版を出したいところです。その際には、今日ご紹介したカバーをぜひとも使ってやりたいものだと、毎年、7月1日になると思っています。


★★★★★ イベント告知 ★★★★★


 『反米の世界史』の刊行を記念して、下記のイベントを行います。

 皆様、お気軽に遊びに来ていただけると幸いです。


◎ 7月2日(土) 即売・サイン会@切手市場
 (詳細はhttp://kitteichiba.littlestar.jp/ をご覧ください)
 

◎ 7月5日(火) トークイベント@新宿ロフト
  「復活!!!!北朝鮮祭り~最近の北鮮総括!」
 (詳細はhttp://www.piks.or.tv/ をご覧ください)



 ◆◆◆◆ メンテナンスのお知らせ ◆◆◆◆


 サーバーの管理者から、7月2日(土)午前0時から7月4日(月)午前8時までの間、メンテナンス作業のため、アメーバブログのすべてのページの閲覧ができなくなるという連絡が来ました。この間、皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、ご容赦ください。

 なお、メンテナンス作業は、早ければ3日(日)中に終わるそうですので、この日記に関しては、とりあえず、その日の出来事とは無関係のコラムを入れておきます。(ページが復活した時、最新の記事が空白になっていないようにするため、です)メンテナンス期間中に、何か、この日記でご報告すべきことが起きましたら、月曜日以降の日記に書き込む予定です。

 前半戦終了

 おかげさまをもちまして、このブログも公開1ケ月を迎えました。3日坊主の僕が、とりあえず、一月、一日も休むことなくブログを続けてこられたのは、ひとえに、毎日、このページに遊びに来てくださる皆様の支えがあってこそ、です。


 ここのところ、毎日平均140~150名の方にご訪問いただき、通常通りのペースであれば、本日中にカウンターは4000を超えるでしょう。予想外に多くの方々にご覧いただいていることを、素直に喜ぶとともに、これからもより多くの方にこのブログを見て、楽しんでいただけるよう、これからも頑張っていくつもりです。


 さて、今日で今年も前半が終了となります。そこで、備忘録を兼ねて、今年前半の主な仕事(放送媒体での仕事は除く)をリストしてみることにしました。その中に一つでも二つでも、皆様の新たなご興味・ご関心をそそるものがあれば、幸いです。


 【内藤陽介・2005年前半の仕事】


 <単行本>

 ・『切手バブルの時代―五輪・新幹線切手に踊らされた頃

 ・『反米の世界史


 <連載>

 ・「切手で見る韓国現代史」 『東洋経済日報』(第109~133回)

 ・「日本の郵政」 『MM日本国の研究 』(1月20日号、3月3日号)

 ・「たたかう切手たち」 『Webちくま 』(第5回・第6回)

 ・「ピンホールコラム」 『朝日新聞』夕刊(1~3月)

 ・「切手に見るアラブの都市の物語」 『(NHKラジオ)アラビア語講座』および『(NHKテレビ)アラビア語会話』(第6~8回)

 ・「外国切手の中の中国」 『(NHKラジオ)中国語講座』(第1~4回)


 <単発モノ原稿>

 ・「『解放切手』の時代:郵便に見る歴史の転換点」 『日韓文化交流基金NEWS』第32号

 ・「日本陸軍の経済謀略作戦:中国通貨を偽造せよ!」 『歴史群像』第69号(2月号)

 ・「東京オリンピック募金切手の研究」 『メディア氏研究』第18号

 ・「『趣味週間』と切手ブーム」 『郵趣』3月号
 ・「通信(ロシア・ソ連)」 『中央ユーラシアを知る事典』

 ・「郵便学者の舞台裏 」 『本』2005年7月号


 <展覧会関係>

 ・「もう一つの昭和戦史:切手と戦争展」 (個展、1月26~30日)

 ・「朝鮮:分断国家の誕生」 『日韓国交正常化40年記念・コーリア切手展』(4月15~17日)

 ・「旧南方占領地の戦後史」 『登録審査員によるワンフレーム展』(6月18~19日)


 *名称などは、一部省略した箇所もあります。漏れがある可能性もありますが、ご容赦ください


 こうやって見ると、忙しい割には、案外、仕事をしていないことが分かってしまい、反省しきりです。後半はもっとペースを上げて、真面目に仕事をこなしていかねば…。



 ★★★ イベント告知 ★★★


 『反米の世界史』の刊行を記念して、下記のイベントを行います。皆様、お気軽に遊びに来ていただけると幸いです。


◎ 7月2日(土) 即売・サイン会@切手市場
 (詳細はhttp://kitteichiba.littlestar.jp/ をご覧ください)
 

◎ 7月5日(火) トークイベント@新宿ロフト
  「復活!!!!北朝鮮祭り~最近の北鮮総括!」
 (詳細はhttp://www.piks.or.tv/ をご覧ください)

 戊辰戦争と日清戦争

 昨日に続いて、皇室切手の本の作業途中で拾った話を書きます。


 1896年8月、日清戦争の勝利を記念するという名目で、日清戦争中に病没した有栖川宮(下の画像の左)と北白川宮(同じく画像右)の二人の肖像を描く切手(ともに、2銭と5銭の切手が発行されたので、セットとしては4種1組となる)が発行されました。


有栖川宮     北白川宮


 この2人の肖像が、記念切手に取り上げられた理由としては、「戦捷を華々しく記念する切手を発行すると清国の国民感情を害するおそれがあったため、亡くなった2人を偲ぶことで、ひっそりと戦勝を祝う意図があった」というのが一般的な説明です。


 僕も、そうした一般的な理解を否定するつもりはないのですが、この2人が同時に切手に取り上げられた背景には、もう少し別の事情もあったんではないかと考えています。


 というのも、有栖川宮は戊辰戦争の際の東征大総督、つまりは官軍のトップでした。一方、北白川宮は、いろいろと経歴をロンダリングしていますが、戊辰戦争の際は“輪王寺宮”として上野の山に立てこもり、官軍と戦っていた人間、つまりは賊軍の象徴的な存在でした。


 つまり、戊辰戦争で敵と味方に分かれて戦った2人の皇族は、わずか20数年後の日清戦争では、ともに帝国陸軍の幹部として亡くなり、靖国神社(戊辰戦争の際の賊軍の死者は祭られていません)に祭られているのです。


 戦争の清算がいつ済むのか、ということはケース・バイ・ケースでしかいえないのですが、一般的に言ってしまえば、次の戦争が起こって、それが勝利に終われば、前の戦争の記憶(特に敗戦の記憶)はきゅうそくに風化するものと思われます。


 戊辰戦争の“勝組”であった薩長藩閥が政府の要職を独占し、旧賊軍の流れを汲む“負組”の人たちは、明治という時代を通じて、社会的に不遇な状況に置かれつづけていました。そうした“負組”のルサンチマンを浄化する上で、挙国一致体制をもたらした日清戦争の持っている意味は、現代の我々が考えている以上に大きかったのではないかと思います。


 そのように考えると、2人の皇族の肖像を描いた切手は、それ自体、戊辰戦争が(少なくとも公的な言説の場では)完全に清算されたことの、一つの証言だったのではないか、と考えてしまうのです。


 現在、執筆中の“皇室切手本(タイトルが未定なので、とりあえず、こう呼ばせてください)”では、こうしたことを含めて、この切手にまつわるさまざまな伝説の虚実を僕なりに検証してみました。今秋、無事に刊行の運びとなり、皆様にお読みいただけるよう、現在、鋭意作業を進めているところです。


 

 両陛下

 昨日の日記では、両陛下のサイパンご訪問の話に少し触れましたが、そもそも、この“両陛下”という表現、明治以降の発想だということは、案外知られていないようです。


 明治の初期まで、皇室の中で一番序列の高い女性は、皇后ではなく、天皇の母親である皇太后でした。これは、天皇家といえども、儒教的なイエの論理で見る限り、嫁である皇后よりも姑である皇太后のほうが上だという論理によるもので、明治十年代には、天皇→皇太后→皇后という序列で描かれた肖像画が多数存在しています。


 また、明治までは、皇統の維持という観点から側室制度が厳然として残っており(ちなみに、明治天皇と大正天皇の母親は、いずれも、皇后ではなく、側室の女性です)、その意味でも、正妻としての皇后の立場は現在と比べると弱いものでした。


 これに対して、近代国家の体裁を整える必要に迫られていた明治政府は、国王夫妻を前面に押し出す西洋の王室と平仄を合わせて、天皇と皇后を並べて(つまり、皇太后を排除して)帝国を象徴するイコンとして定着させようとします。大日本帝国憲法の発布式典の日に日本の歴史上おそらく初めて、天皇・皇后が揃って民衆の前でパレードを行うという演出が行われたのも、教育勅語の制定にあわせて、「夫婦相和シ」の文言に合わせるかのように、両陛下のご真影が下賜されたのも、いずれも、“近代化(=西洋化)された皇室”を国民に印象づけるための演出だったわけです。


 1894年、年明け早々、突如として明治天皇の銀婚式が企画され(実際には、2月9日の結婚記念日に間に合わず、3月9日に式典が行われている)、準備期間わずか1ヶ月程度で下のような記念切手が発行されたのも、“両陛下”というものの存在を、急いで国民に浸透させることが目的だったといってよいでしょう。ちなみに、当時は銀婚式というものがあることはおろか、結婚記念日を祝うという習慣でさえ、一般の日本人には知られていませんでした。


 明治銀婚


 もっとも、西洋風の“国王夫妻”というユニットについて、側室制度を頑なに守っていた明治天皇は批判的で、祝典の名称に“銀婚式”という言葉を使うことは断固拒否し続けています。この結果、祝典の正式名称は“大婚25年祝典”とされました。伝統的な価値観の中で生まれ育ち、公式の場で皇后と並ぶことを非常に嫌がったという明治天皇の、せめてもの“近代化”に対する抵抗であったといったら、いささか、いいすぎでしょうか。


 現在、切手から見た近代日本の皇室についての本を作っているのですが、今日は、その過程で拾えた話を書き込んでみました。


 

 南洋庁の絵葉書

 今日(27日)、両陛下が慰霊のためサイパンをご訪問なさるそうです。


 本来であれば、サイパン関連のモノをここでご紹介できればいいのですが、手許には余り気の利いたものがないので、範囲を“南洋”全般に広げて、こんな絵葉書をご紹介します。


 南洋庁の絵葉書


 この絵葉書は、1943年7月、南洋群島始政25周年を記念して、パラオ島にあった南洋庁が発行した3枚組絵葉書の1枚です。


 第一次大戦以前、赤道以北の南洋群島(ただし、米領となったグァムは除く)はドイツ領でした。これらの島々は、第一次大戦中、日本軍が占領し、1918年7月からは民政部が行政を担当しました。その後、大戦の終結に伴い、南洋群島が正式に日本の委任統治領となると、1922年3月、軍政は廃止され、4月に南洋庁が設けられました。


 この絵葉書は、その南洋庁が、民政部の設置から起算して25周年になったのを記念して発行したもので、飛行艇とサンゴ礁という、いかにも“南洋”というデザインになっています。


 1943年夏に発行された葉書の光景は、なんとものどかで、戦争中のものとは思えません。わずか1年後、南洋群島が激戦の地となり、サイパンではバンザイ・クリフの悲劇が展開されたことを思い起こしてみると、あらためて、こういう穏やかな絵葉書が伝えてくれる歴史のイメージにいろいろと考えさせられます。

 沖縄(下)

 アメリカの占領下あるいは施政権下におかれていた時期の沖縄切手には、いくつかの名品がありますが、いわゆる久米島切手もその一つといっていいでしょう。


 沖縄戦終結後の1945年6月25日、久米島(那覇市の西方94キロの地点にある離島)は米軍に占領され、軍政府がつくられます。


 沖縄本島と異なり、戦争の被害が軽かったこともあり、久米島では早くも1945年10月1日には通常の郵便業務が再開となり、これにあわせて、謄写版を用いた7銭切手も発行されました。これがいわゆる“久米島切手”(↓)です。


 久米島切手        久米島切手裏面


 画像を見ていただけると分かりますが、KUME SHIMAの文字を両脇に配し、中央に額面の7銭と印刷して、その上から郵便局長の印が押されただけの素朴な切手です。目打(周囲のミシン目)も裏ノリもありません。右側は裏面の写真で、切手用に専用の用紙が用いられたわけではなく、てもとにあった用紙の裏面を再利用するかたちで切手が製造されたことが分かります。


 久米島切手は、まずか3120枚しか製造されませんでしたから、現存数は少なく、コレクターの間では人気があります。


 24日から、東京・目白の<切手の博物館>で開催の、“立川憲吉・石澤司 沖縄切手コレクション展”でも、いよいよ、今日26日で最終日。(ここにあげたものとは別物ですが)久米島切手も展示されています。是非、お運びいただき、実物を間近にご覧いただけると幸いです。


 

 オリエントクラブでの講演

 昨日(24日)は、オリエントクラブで講演をしてきました。オリエントクラブというのは、国会議員夫人を中心とした勉強会(会長は後藤田元副総理の奥様です)で、世話人は、あの浜田麻記子さんです。東京外国語大学の名誉教授・上岡弘二先生経由できた仕事で、演題は「中東郵便学入門」でした。


 僕は、よほどのことがない限り、依頼された仕事は原則として断らない主義ですが、今回は“代議士の妻たち”という、普段なかなか接する機会のない人たちを前にしての仕事ということで、好奇心も手伝って二つ返事でお引き受けしたという次第です。


 結論から言えば、“代議士の妻たち”といっても、好奇心の旺盛な普通の奥様方といった感じで(もちろん、近所の八百屋のオバチャンよりは皆様ずっとお上品でしたが)、ちょっと拍子抜け(?)しました。こんなことを書くと怒られてしまいそうですが、デビ夫人系の強烈な人ばっかりかな、と思っていたのです。まぁ、普段、新聞やテレビで見ているセンセイたちと奥さんの組み合わせが、なるほどと思う方あり、意外な感じのする方ありで、その意味では非常に興味深かったのですが・・・。


 さて、肝心の講演の方ですが、とにかく、身近な切手や郵便物が歴史や地域を読み解く資料となるのだということが新鮮だったらしく、興味を持って聞いていただけたようで、まずはホッとしました。切手=男の趣味というイメージが強いのでは、と思っていたので、奥様方には退屈な話にならないだろうかと、心配していたものですから。


 また、切手そのものが“綺麗”という印象をお持ちになった方も少なからずおられたみたいで(1940年代のレバノンの切手なんか、結構、評判良かったです)、昨今、雑貨系の人たちの間で“かわいい切手”が持てはやされているバックには、実は、今まで僕が考えていた以上に大きなマーケットがある可能性を感じました。この点は、今後、いろいろな企画を立てていく上で、大きな収穫になったと思います。


 ところで、講談社のPR誌『本』に「郵便学者の舞台裏 (クリックしていただくと、同社HPにてお読みいただけます)」と題するエッセイを書きました。内容は『反米の世界史』の楽屋ネタで、切手の世界に詳しい方には目新しい話はありませんが、そうでない方にはそれなりに面白がっていただけるのではないかと思います。よろしかったら、ご覧いただけると幸いです。


 なお、またしても、「沖縄(下)」の掲載が延期になってしまい、申し訳ありません。開催中の「沖縄切手展」の会期最終日に当たる明日26日の日記(日付が変わってすぐにアップする予定です)には、必ず、掲載いたしますので、いましばらくお待ちください。

 ブックバトン

 高校以来の友人で、現在、大学で日本文学の先生をなさってるタヲヤメさん(ブックマークの角出せ槍出せ が先生のブログです)から、ブックバトンというのがまわってきました。


 なんでも、次の質問に答えて、5人以内にまわすのだそうです。面白そうなので、僕もやってみることにしました。


 1.持っている本の冊数
 

→ この商売をやっていると、必ず聞かれるのが、「何枚、切手を持っていますか?」という質問です。しかしながら、既に枚数を数えられる状況ではないので、事実関係として、8畳間とレンタルボックス1つ、資料用に埋まっていると答えています。書籍の場合も状況は似たようなもので、4畳半くらいのスペースとレンタルボックス半分が書籍用(コピー製本したものも含む)のスペースとして埋まっています。まぁ、身動きするスペースを考えず、天井までぎちぎちに詰め込めば、6畳間一つで収まるでしょうから、3~4000冊くらいじゃないでしょうか。(結構、大型本も多いので)


2.今読みかけの本 or 読もうと思っている本


→ いろいろあるのですが、仕事と全く関係のない本で探すのは難しいです。あえて、一番関係なさそうなのを探そうとすると、蓮池薫さんの訳で有名になった『孤将 』でしょうか。

 あと、積読になっているもののうち、気になっているのは、中島岳志さんの『 中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義 』ですかねぇ。それ以外は、現在、執筆中の本の資料なので、遠慮しておきます。


3.最後に買った本(既読、未読問わず)

→ 純粋に事実関係だけいえば、娘の中学受験のための過去問集(声の教育社から出ている学校別のやつです)が、最後に書店で買った本ということになりますが(笑)。自分の読む本としては、立川憲吉さんと石澤司さんの『沖縄 1874-1972:立川憲吉・石澤司コレクション』(財団法人・日本郵趣協会、2005年:書誌データがアマゾンには登録されていません)ということになります。

4.特別な思い入れのある本、心に残っている本5冊(まで)


 → 正直に“思い入れのある本”を列挙すると、現時点では拙著『反米の世界史 』が筆頭に来ます。なんてったって、自分の最新作ですから…。このほかにも、素直に埋めていくと、当然のことながら、全部、自分の書いた本だけですぐに5冊の枠は埋まってしまいます。ただ、それでは、このバトンの趣旨に合わないでしょうから、とっさに思いついたものを、あげておきます。


・高沢皓司 『宿命―「よど号」亡命者たちの秘密工作

 ノンフィクションの傑作です。いまのように、拉致問題が明らかになる前に、これだけのことを調べあげていたという筆者の調査力には、素直に敬服します。というよりも、この本を読んでいたため、一連の北朝鮮報道を見て、「一般にはそんなことも知られていなかったのか」と思ってしまった記憶があります。


・猪瀬 直樹 『黒船の世紀―ガイアツと日米未来戦記

 いつもお世話になっている猪瀬さんの1冊です。正直に言うと、僕の今回の『反米の世界史』は、かなり、この本を意識して作っています。もっとも、仕上がりのテイストは全く違ったものとなりましたが…。


・保阪 正康 『陸軍省軍務局と日米開戦

 時節柄、昭和史ネタからも1冊。日米開戦にいたるまでの2ヵ月半の陸軍内の葛藤が活写された名著だと思います。保坂さんの作品は、歴史のリアリティ(必ずしも、学問的な正確さと同義ではない)をどう表現するのかという点で、非常に参考になる視点をいくつも提供してくれるのですが、中でも、特におすすめの1冊です。


・太宰 治 『走れメロス 』(角川文庫)

 僕は太宰が結構好きです。といっても、世間で言われている「生まれてすみません」系のイメージではなく、プロの物書きとしてみたときの筆力、あこぎなまでの営業戦略などに、(広義の)同業者として素直に敬服できるからです。悪い意味で生活臭の全くしない作家や学者というものを、僕は全く信用しません。


5.次にまわす人5人まで(←「まで」が入っているところが良心的かも)


それでは、以下の方々(50音順)にお願いします。


 池田健三郎 さん

 DOCTOR さん

 ぺぴーく さん

 マサト さん


 このページをご覧頂いて、気付いていただけるのをひたすらお待ちしております。既にバトンをお受け取りの際はご容赦を。もちろん「スルーでもOK」です。


 よろしくお願いします。


 PS 昨日・一昨日からの続き物「沖縄(下)」は、明日以降に順延となります。また、本日(24日)、都内で行う講演についてのご報告も、日を改めて行いたいと思います。(これでしばらく、ネタには不自由しなさそうです)