郵便学者・内藤陽介のブログ -16ページ目

 何故、龍なのか

 日本切手の歴史を考える上で避けて通れないのは、なぜ、日本最初の切手(↓)には龍が取り上げられたのか、という問題です。この点については、「唾で舐めたり消印を押したりする切手に天皇の“ご尊顔”を印刷するのは畏れ多いので、代わりに天子の象徴として龍を取り上げた」という説明がしばしばなされているようです。


 龍切手


 しかし、この説明、冷静に考えてみると、実は、きわめて根拠が薄弱です。


 そもそも、日本最初の切手には裏糊はついていません。したがって、裏糊を舐めるから“ご尊顔”を印刷するのは不敬、という発想は、そもそも成り立ちません。


 次に、消印についてですが、実は、前島密(日本の郵便創業の父)が切手を導入することを決意した時、彼は切手の再使用防止の手段として消印を押すということがあることを知りませんでした。それゆえ、彼は薄くて破れやすい紙に印刷すれば、いったん封筒に貼った切手をはがそうとしても、破れて再使用が出来なくなるはずだ、と考えていました。もちろん、郵便創業までの間に、彼は消印という手段があることを知り、日本の郵便は創業時から消印を使っているのですが、そういう有様ですから、最初の切手の発行を企画していた段階では、“ご尊顔”が消印で汚れるという発想は、前島にはなかったはずです。


 いずれにせよ、「舐めたり消印で汚れたりするモノ」と「“ご尊顔”なんて畏れ多い」のふたつが組み合わさるのは、もっと後の時代になってからの考えるのが妥当なようで、日本最初の切手に天皇の肖像が使われなかった理由については、もう少し別の視点からも原因を考えてみないといけないでしょう。


 また、「“ご尊顔”を使わない」ということと、「龍を使うこと」の間にも、もう少し何か事情があったんじゃないか、ということも再検討してみたほうが良いように思っています。


 いずれにせよ、今年の秋に刊行予定の皇室切手には、なんとか、日本最初の切手が龍であった理由について、僕なりの新たな仮説を示してみたいと考えています。そして、現在、その後の時代についての原稿を書き進めつつも、常にこの時代に関する資料を眺めて、いくつかの可能性について調査を進めている状況です。

 ホフマン絵葉書の昭和天皇

 ヒトラーのお抱え写真師だったハインリッヒ・ホフマンは、ナチスやヒトラーに関する絵葉書を多数、制作・発売していますが、その中から、現在製作中の皇室切手本にも使えそうなものを1枚みつけました。


 昭和天皇のホフマン絵葉書


 これは、ナチス・ドイツの同盟国である大日本帝国の元首として、昭和天皇の肖像写真を取り上げたもので、ちょっと見づらいですが、下のほうには“Kaiser HIROHITO der Tenno von Japan”という説明書きもしっかり入っています。


 葉書に使われている元の写真は、もちろん、ホフマン自身が撮影したものではなく、1928年(昭和3)11月の昭和大礼にあわせて日本側で撮影したもののうち、大元帥の正装をしたものです。その後、国内はもとより、在外公館を通じて海外でも配布されたもので、戦前の昭和天皇の写真としては、おそらく、世界的に最も流布していたものの一つではなかろうかと思います。なお、オリジナルの写真は全身像ですが、葉書ではトリミングされています。


 それにしても、カイザー・ヒロヒトとかテンノー・フォン・ヤパンなんてフレーズ、ドイツ語では当たり前の表現なのかもしれないけど、口にしてみるとなんだか妙に新鮮で、印象的です。



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 テロリスト図鑑(2) レーニン

 最近でこそ、世間的にはテロといえば“イスラム原理主義”というイメージが固まっているようですが、一昔前までは、テロの主流を占めているのは、左翼過激派による、いわゆる“赤色テロ”でした。


 “白色テロに対する赤色テロ”という用語は、すでに、マルクスの文献にも登場していますが、それを大掛かりに実行に移したのは、ロシア革命を経て誕生したレーニンのボルシェビキ政権です。


 すなわち、1918年9月、いわゆる“赤色テロル”政令を発して、「白色テロには赤色テロで応じる」ことを宣言したレーニンは、秘密警察チェカ(非常委員会、後のKGB)を動員して反対派を徹底的に粛清。国民に密告を奨励して、“反革命”とみなされた人々を次々と逮捕し、処刑しました。チェカの地方幹部が暗殺されると、ボルシェビキ政権は、報復として市民500人を銃殺。さらに、ロマノフ朝最後の皇帝であったニコライ2世一家がエカテリンブルグで全員処刑されると、“赤色テロ”による恐怖支配に全世界は震撼しました。


 さて、レーニンの切手は、ソ連をはじめとする(旧)共産圏諸国で山のように発行されていますが、今回は、とりあえず、定番モノとして、↓の切手をご紹介しておきましょう。


レーニン


 この切手は、1924年にソ連が発行したもので、レーニンの肖像切手としては最初のものです。切手収集家の視点からすると、目打(周囲のミシン目)の有無を始め、製造面・使用目でバラエティがいろいろある切手なので、分類して楽しめる題材となっています。もっともこの切手ばかり並んでいるアルバム・ページというのは、知らない人が見たら、かなり異様な雰囲気だと思いますが…。


 なお、全世界で発行された膨大な数のレーニン切手を一つずつ丁寧に分析していくと、世界各国の共産主義の歴史を考える上でいろいろと面白い事実が拾えるのではないかと思います。いずれ、手を付けてみたいテーマの一つではあるのですが、果たして、仕事としてまとまった形に出来るのはいつのことになるやら…。この日記を書きながら、今すぐやらねばならぬことの多さに改めて気づき、少し気分が鬱になりました。

 韓国美術5000年

 本日未明、カウンターが5000アクセスに達したようです。ここを訪れていただいた沢山の方に、まずはお礼申し上げたいと思います。


 さて、5000アクセスにちなみ、なにか5000に絡んだモノはないかと探していて見つけたのが、この切手です。


 韓国美術5000年


 この切手は、1980年に韓国が5回にわけ、計10種セットで発行した“韓国美術5000年”のシリーズの1枚で、石造りの虎が取り上げられています。韓国語には、“昔々~”という意味を表すとき、“トラがタバコを吸っていた頃”という言い回しがありますので、ある意味で“韓国美術5000年”というシリーズにはぴったりの1舞ということもできるかもしれません。


 自国の歴史的伝統を強調したいというのは人間として自然な感情ですから、どんな国でも、歴史学的に確認できない時代からすでに自国の歴史は始まっていたとする物語が語られています。日本の場合も、いまから2665年前の縄文式土器の時代に神武天皇が即位したという建国神話がありますが、これもその典型です。


 さて、この切手が発行された頃、たしか“中華三昧”という、ちょっと値段が高めのインスタントラ-メンが発売され、“中国4000年の~”というフレーズが盛んにCMで流れていました。それが耳になじんでいた一中学生は、切手屋さんの店先に並んでいたこの切手とその説明を見て、教科書に出てくる古代文明の中国でさえ4000年なのに韓国はどうして5000年になるんだろうと単純素朴に疑問に思ったものです。


 その後、韓国の切手について少し知識が出てきて、戦後の韓国では郵便物の消印にも一時、檀紀(建国神話の檀君が即位したとされる西暦の紀元前2333年を紀元とする暦年)が使われていたことを知り、仮にその暦を用いたとしても、5000年には全然足りないのに、5000年という言葉の根拠はどこから出てくるのか、不思議でなりませんでしたが、そのことはいつしか忘れていました。


 さて、大学生の頃、夏休みにテュニジアでバカンスを兼ねたアラビア語の語学研修を受けていた時、クラスのメンバーに対して、それぞれの国について外国人から見て疑問に思うことを質問するというレッスンがありました。そのとき、突如、中学生の頃の疑問が頭の中によみがえり、同じクラスにいた韓国人の友達に、「日本人も歴史を水増しして2600年というけど、韓国では5000年って言うよね。で、実際のところ、5000年前の韓国って、本当はどんな感じだったんだろう?やっぱり、他の国とおんなじで、みんな腰蓑一枚で歩いてたのかな」との不躾な質問をぶつけてみました。


 この質問に、他の連中(ほとんどがヨーロッパ人です)は、「5000年だって!いくらなんでもそいつはありえないだろ」と驚いていました。また、教師には、内藤は数詞の使い方を間違ってるんじゃないかとも言われました。


 で、友人の韓国人は返答に窮してしまい、困った顔をしていたのですが、最後に一言。「まぁ、日本よりは韓国のほうが国家(王朝)としての歴史が古いってことでいいじゃないか」


 ハイ、お説ごもっともです。


 韓国5000年ということで、ちょっと懐かしく思い出したお話でした。

 テロリスト図鑑(1) 安重根

 その昔、芥川龍之介は「善は悪の異名である」と書き記しましたが(猿蟹合戦)、ある現象に対して、立場が変わると正反対の評価が下されるということは、しばしばあります。


 たとえば、アメリカの建国の父とされ、日本でも道徳の教科書の定番ネタとなっているジョージ・ワシントンは、(少なくとも当時の)イギリス人にいわせれば、“盗人の頭目”でしかありませんでした。


 社会の秩序を脅かすテロリストたちを鎮圧するのは、国民の声明・財産を守る国家の側からすれば当然のことですが、一方、そうした既存の体制そのものに異議を唱え、その解体を主張する人たちからすれば、体制側が“テロリスト”と認定した人こそ、“英雄”ということになります。たとえば、植民地時代に民族解放闘争に従事していた“テロリスト”の中には、独立後、“民族の英雄”に祭り上げられ、国家のお墨付きを得て切手にまで取り上げられるようになる人物も少なくありません。


 そこで、どれだけ実例を挙げられるかわかりませんが、これから、このブログでは切手になった“(元)テロリスト”たちを不定期連載のかたちで紹介していきたいと思います。


 もちろん、僕は、これからご紹介していく“テロリスト”たちの主義主張に賛同しているというわけではありません。ただ、同じ事柄でも我々とは反対側から見たらどう見えるか、という視点の切り替えないしは頭の体操の材料を皆さんに提供できたら、と考えているだけなのです。この点については、くれぐれも誤解なきよう。


 さて、前置きが長くなりましたが、記念すべき第1回目の今日は、日本人にとっても超メジャーなこの人に登場してもらいましょう。


 安重根  


 切手に描かれているのは、皆さんもよく御存知の伊藤博文暗殺犯、安重根です。


 念のため、彼の個人データをまとめておくと、安重根は、1879年、黄海道の海州出身。1894年の甲午農民戦争(日本では、“東学党の乱”といったほうが通りが良いかもしれません)の際には父親と共に政府側の義兵を起こして農民軍と戦っています。その後、カトリックに入信し、日露戦争後、日本による韓国の植民地化が進む中で、これに反対する義兵闘争を展開。1909年、ハルビン駅頭で、前韓国統監の伊藤博文を暗殺しました。事件後、安は直ちに逮捕されて死刑判決を受け、1910年3月、旅順監獄で処刑されました。日本では国家の元勲を暗殺したテロリストですが、韓国では、独立運動の義士として、現在でも広く社会的な尊敬を集めています。


 さて、安重根が切手に取り上げられたのは、全斗煥政権下の1982年のことでした。当時、日韓両国の間では、日本の高校歴史教科書が、文部省の検定圧力によって日本の大陸“侵略”が“進出”にあらためられたという報道(後に誤報であったことが明らかになりましたが)をめぐって、いわゆる教科書問題が持ち上がっていました。これが、現代まで続く教科書問題のルーツとなります。

 

 こうした背景の下、当時の韓国政府としては、現在の大韓民国が日本による植民地支配とそれに対する抵抗運動を経て成立したという主張を、内外に広くアピールするため、このような切手を発行したものと思われます。その意味では、一昨日、7日の日記でも中国を例にとって少し書いたように、安の肖像は現代韓国の“建国神話”にとってきわめて重要なイコンとして、現在なお機能しているといってよいでしょう。


 なお、現在、韓国出身の芸能人たちが日本でも人気を集めていますが、彼らの中にも安重根への尊敬の念を堂々と表明している人たちは少なくありません。このため、“安重根は単なるテロリスト”という認識をもつ人たちの中には、そうした芸能人をCMに起用している企業の商品の不買運動を呼びかけるグループもあるようで、“テロリスト”と“義士”をめぐる歴史認識の溝は、思った以上に根が深いのだということを再認識させられます。


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 奉祝唱歌

 ここのところ、外国の切手に関するネタが続いていましたが、皇室切手本の作業は毎日続けています。


 で、皇太子時代の昭和天皇の御成婚のことを調べている過程で、↓のようなモノにぶつかりました。


 奉祝唱歌


 これは、昭和天皇の結婚式当日に、“奉祝唱歌”の印刷された紙に切手を貼って消印を押して作った記念品です。


 ご存じの方も多いと思いますが、昭和天皇の結婚式は、当初、1923年11月に予定されていましたが、同年9月1日の関東大震災のために延期され、翌1924年1月に行われました。震災のため、用意されていた記念切手が焼失し、発行されずに終わったことは切手をかじったことのある人なら、皆さん、ご承知の通りです。


 さて、今回の記念品に関しては、用紙に印刷されている“奉祝唱歌(皇室の慶事を祝して作られる歌)”が、昭和天皇の御成婚の際に作られたものなのか、それとも、大正大礼など別の慶事の際に作られたものだったのか、いろいろ調べてみたのですがよく分かりませんでした。


 しかし、ふとしたことから、埼玉県の長瀞にある寶登山神社に昭和天皇のご成婚の際に作られた奉祝唱歌の碑があることが分かりましたので、同神社に問い合わせたところ、ご丁寧にも、碑に刻まれた歌詞を書き写してFAX してくださいました。


 その結果、今回の記念品に印刷されている奉祝唱歌は昭和天皇のご成婚のときのものではないことが確認されたのですが、宮司さんといろいろお話し(先方は、何でまた僕が奉祝唱歌の碑に関心を持ったのか、不思議に思われたようですが、不発行となった切手のことも話すと、非常に興味をもたれたようでした)、励ましの言葉までいただいてしまいました。


 やっぱり、見ず知らずの方から応援していただくと、純粋に嬉しいものですね。ここのところ、気候のせいか疲れ気味でしたが、少し元気になった気がします。


 PS それにしても、この記念品に印刷されている奉祝唱歌について、どうやって調べたら良いですかねぇ。だれかお知恵を貸していただけると幸いです。

 七七抗戦紀念

 今日は7月7日。七夕の日ですが、盧溝橋事件の日でもあります。


 どんな国にも建国の“神話”というものがあります。その神話は、洋の東西を問わず、いまの体制が出来上がる前は、いかに国民が悲惨な目にあっていたかを強調し、現在の体制を築くために、いかに多くの英雄たちが血を流して倒れたか、ということを強調するという基本パターンがあります。たとえば、アメリカの独立戦争やフランス革命が、それぞれの国の教科書で子供たちにどのように教えられているか、ということを考えれば、そうした神話の持っている意味はすぐに了解されるはずです。


 そうした“神話”を信じ込んでいる人たちに向かって、客観的な歴史的事実と彼らの神話との齟齬を指摘してみても、おそらく、不毛な議論にしかならないでしょう。熱心なクリスチャンに対して、聖母マリアの処女懐胎は科学的事実としてありえないと噛み付いてみたところで、彼らに対する嫌がらせにしかならないのと同じことです。


 それゆえ、孫子の「敵を知り己を知らば百戦して危うからず」ではありませんが、それぞれの国の“神話”を信じている人たちと付き合うときは、彼らの世界観はそうした“神話”に基づいて出来上がっているのだ、と割り切ってお話しするしか、お互いにいやな思いを最小限に食い止める方法はなさそうです。


 現在の中国共産党政権にとって、抗日戦争を勝利に導いた共産党という構図は、彼らにとっての建国神話の重要な部分を占めています。そして、その神話が、国内の矛盾に対する国民の不満をそらすための手段として活用されることで、中国国内の反日感情が増幅されてきているのは(我々にとっては迷惑至極なことですが)、皆様ご存知の通りです。


 そういうわけで、中国切手の中には抗日戦争を題材にしたものが少なからずあり、その中には、当然、戦争の出発点となった“七七”関連を取りあげたものもあります。“七七”というのは、中国側の盧溝橋事件の呼称で、事件が起きた日付にちなんだ名前です。満州事変のきっかけとなった柳条湖事件を、その発生の日にちなんで、“九一八”と呼ぶのと同じ発想です。


 さて、その七七関連の切手のうち、今日はこんなものをご紹介しましょう。


 解放区小型シート


 この小型シートは、1947年の“七七”10周年にあわせて、東北(旧満州)の解放区(共産党支配地域)の郵政を管轄していた東北郵電管理総局が発行した切手を四種、収めたものです。


 1945年、抗日戦争の勝利とともに、中国各地で、国民党と共産党の対立が再燃し、国共内戦が勃発します。その過程で、共産党側は自らの支配地域で独自の解放区切手を発行していたわけですが、この小型シートもその一枚というわけです。


 切手のデザインには、抗日戦争の勝利を祝すとともに、目の前の国民党との戦いに向けて支配下の住民の戦意を高揚させる意図も込められていたことは間違いありません。どうせかの国では、今日あたり大々的に“抗日戦争勝利”の特番なんかやったりして騒いで“極悪非道な日本軍と戦う英雄的な共産党”を賛美しまくってることと思います。まぁ、見ていて気分のいいもんじゃありませんが、夕方のニュースではいやでも映像が流れるでしょう。


 しかし、そうしたプロパガンダの背景とは別に、この切手のデザインは、単純に“戦うぞっ”という気合がみなぎっていて、決して嫌いではありません。なんだか、蒸し暑さでだらけきった僕の身体に喝を入れてくれそうですし・・・。


 さて、昼食後のお休みタイムは終了。そろそろ仕事に戻るとしますか。

 北朝鮮祭

 この日記でも宣伝していましたが、昨日は新宿ロフトのトークライブ、「復活!!!!北朝鮮祭り~最近の北鮮総括!」に出演してきました。


 今回は、『反米の世界史』の刊行から日も浅いので、そのプロモーションになるような話をして、会場で本を売りたいと思っていました。そこで、“北朝鮮祭”とのからみで、自分の受け持分は「ぬるいぞ、将軍様。世界の反米切手はこんなにすごいっ!~最近の北朝鮮ソーカツ」と勝手に演題をつけて、『反米の世界史』の中から、インパクトの強い図版の実物をいくつかご紹介しました。


 お客様の反応としては、6月13日の日記 でもご紹介した、反米切手を貼ってTOEFLの事務局に差し出されたイランのカバーがバカ受け。皆さん、貼られている切手とのミスマッチを面白がって下さったようです。


 で、本の販売の方は、おかげさまで用意した部数が完売となりました。やはり、本の内容をご紹介する“実演販売”方式が、営業成績という点では効果的なようです。


 僕の仕事のメインは執筆ですが、講演も積極的にお引き受けしています。真面目でお堅いスタイルのものだけでなく、今回のように“お笑い系”の内容にも十分、対応しておりますので、よろしかったら、まずはお気軽にお声をおかけください。


 PS 2日(土)の切手市場での即売&サイン会についてのご報告は、いましばらくお待ちください。


PS-2 当日の出演者の1人、葉寺覚明さんにトラックバックを付けていただきました。葉寺さん、ありがとうございました。

 毛沢東の“黒人支持”

 昨日・一昨日の流れで、今日は中国がアメリカの人種差別を取り上げた事例として、1968年5月に中国が発行した“アメリカ黒人の闘争支持”の切手が貼られたカバーをご紹介します。


 毛沢東の反米切手カバー


 切手には、キング牧師の暗殺を機に毛沢東が『人民日報』に発表した論説、「アメリカ黒人の抗暴闘争を支持する声明」の末尾部分が、毛の肖像の左側に印刷されています。赤地に金という、文革期特有の配色のため、画像では文字が読みにくいのですが、勘弁してください。


 さて、切手に印刷されている論説の日本語訳は、以下のようになります。


 世界各国の労働者、農民、革命的知識分子およびアメリカ大国主義に反対する全ての人々は、行動に立ち上がって、アメリカ黒人の闘争に力強い声援を送ろう!全世界人民はいっそう固く団結して、我々の共同の敵、アメリカ帝国主義とその共犯者どもに対して持久的な、猛烈な攻撃をしかけよう!


 いかにも、文化大革命(文革)の時期を髣髴とさせる勇ましいスローガンですが、実は、文革指導部は、そろそろ、混乱を収拾する方向に動き出しています。というのも、劉少奇・鄧小平らの“実権派”を打倒するという、彼らの真の目的がほぼ達せられつつあったからです。


 ところで、文革の発動以来、紅衛兵は“修正主義反対”を唱え、外交機関に対する乱暴狼藉の限りを尽くしていました。この結果、多くの国々が中国大使を召還し、1950年代に重視された第3世界諸国との友好関係も破綻。中国は国際的に孤立します。


 このため、文革の混乱が収束に向かいつつある中で、各国との関係修復の必要に迫られた中国政府は、文革の最大の目標であった“修正主義(=ソ連)の打倒”よりも、“反米”や“民族解放”をキーワードとして持ち出し、第3世界諸国との連帯を回復しようとします。この切手も、その一環として発行されたものと考えられます。


 ちなみに、封筒の余白には毛語録の一節が印刷されていますが(これもまた、文革期の郵便物の特色のひとつです)、その内容は、「民衆が軍隊を自分の軍隊とみなせるよう、軍隊は民衆と一体になるべきで、そうなれば、この軍隊は天下無敵となる」というものです。差出人はこのような封筒を選ぶことで、破壊と暴力を繰り返す紅衛兵たちへの鬱積した嫌悪感や、秩序の回復と社会の安定を求める気分がこめたのではないか、と考えたくなります。

 

 今日の切手もまた、アメリカの黒人問題が他国のプロパガンダに使われたという事例として興味深いものといえましょう。


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 レオナード・ペルティエ

 今日は7月4日。いわずと知れたアメリカ合衆国の建国記念日です。


 アメリカという国が作られていく過程で、白人による西部開拓で、ネイティブ・アメリカン(いわゆるアメリカ・インディアン)が居留地に押し込められて苦境に追いやられたことは周知の通りです。近年、世界的な人権・環境保護の意識が高まったことで、アメリカ政府は過去の搾取への補償と土地返還などを求められていますが、その対応は必ずしも十分とはいえないようです。


 一方、いわゆるインディアンの側でも、白人社会に対する反応はさまざまですが、中には、既存のアメリカ社会に激しい敵意をあらわにしているグループもあります。その代表的なものが、1973年、ウーンデッド・ニー占拠事件を起こしてアメリカ政府軍と戦ったアメリカン・インディアン・ムーブメント(AIM)でした。


 で、そのAIMの中心人物としてFBIからマークされ、1977年にネイティブ・アメリカン居住区で起きたFBI捜査官の殺人事件の容疑者として逮捕され、現在も獄中にあるのが、レオナード・ペルティエです。ただし、ペルティエの逮捕に関しては、アメリカ国内でも証拠が不十分な上、裁判が公正に行われていないというとの批判も少なくなく、議論の的になっています。いずれにせよ、現代のアメリカ社会で、ネイティブ・インディアンの問題が語られる時、ペルティエのことは避けて通れない話題となっているようです。


 さて、そうしたペルティエの存在は、アメリカン人種差別を糾弾しようという側からすれば、格好の素材となっているわけで、たとえば、東西冷戦下の1985年、当時のソ連は、学生たちに、↓のようなカバーを組織的に差し出させています。


 ソ連の嘆願書


 カバーには、4000万人を超えるソ連の若者が、“アメリカ・インディアンの権利を求める闘士”ペルティエの解放を求めている旨の英語の文面が貼り付けられています。宛先は、ホワイトハウスで、おそらく、同種の内容の手紙(学校などで組織的に作られたものでしょう)が同封されていたものと思われます。


 アメリカの切手の中にはネイティブ・アメリカンを題材にしたモノもないわけではないのですが、当然のことながら、それらはアメリカ社会の暗部を記録したものとはなっていません。そこで、搦め手的なアプローチですが、ネイティブ・アメリカンの問題を切手や郵便物から語るための素材としては、こんなモノもあるんだよ、という意味で、このカバーをご紹介してみました。


 なお、アメリカの人種差別を告発するソ連のプロパガンダに関しては、ちょうど一月前、6月4日の日記 もあわせてご覧いただけると幸いです。



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