パレスチナはアラブのものだ! | 郵便学者・内藤陽介のブログ

 パレスチナはアラブのものだ!

 今日(11月29日)は、1947年に国連でパレスチナ分割決議案が採択された日です。


 第一次大戦以来、パレスチナではアラブ系住民とユダヤ系移民の対立が続いていましたが、第2次大戦で疲弊し、完全に当事者能力を失ったイギリスは、自らの責任を放棄して問題の解決を一方的に国連に委ねてしまいます。その国連が出した解決案が、パレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分割し、エルサレムは国連の管理下に置くというものでした。


 当時、パレスチナ地域の人口の大半はアラブ系でしたが、国連の決議案では、“ユダヤ国家”に割り当てられる地域は全体の約2分の1に設定されていました。しかも、その中には、沿岸部の豊かな地域も含まれています。当然、アラブ側はこの決定に不服でした。


 この結果、国連決議をたてにユダヤ国家樹立を既成事実化したいユダヤ系、それを阻止したいアラブ系の対立は激化し、1947年末には、パレスチナは事実上の内戦に突入。1948年5月のイギリスの撤退にあわせて、イスラエル国家の建国が宣言され、それを阻止しようとするアラブ諸国の介入で第一次中東戦争が勃発することになります。


 この間の複雑な事情は郵便の上にもさまざまな影を落としており、いろいろと面白いモノが残されているのですが、その中から、今日はこんなものを引っ張り出して見ました。


 パレスチナはアラブのものだ


 このカバー(封筒)は、上述のような混乱の最中にあった1948年2月、パレスチナのベツレヘムからアンマン宛に差し出されたものです。当時は、まだ、パレスチナの主権者はイギリスでしたから、イギリス当局の発行したパレスチナ切手が貼られています。


 で、ご注目いただきたいのは、カバーの左側に貼られているラベルで、パレスチナの地図を背景にエルサレムの風景を描き、「パレスチナはアラブのものだ!」のスローガンが入っています。もともと、このラベルは1930年代に作られたものですが、国連による分割決議に抗議して、差出人が郵便物に貼ったのでしょう。


 分割決議からイスラエル建国までの過渡的な時期に関しては、ユダヤ側のマテリアルは豊富に残っているのですが、アラブ側のマテリアルで気の利いたものはあまり見かけません。それだけに、このカバーは、バランスの取れたコレクションを作るうえで、ちょっとしたアクセントになるので気に入っています。


 年明け早々、東京・目白の<切手の博物館 >で中東切手展というのをやる予定です。現在、何を展示しようかと思案しているところですが、もしかすると、このカバーも展示することになるかもしれませんが、さてさて、どうなりますやら。