本家のチンギスハン切手 | 郵便学者・内藤陽介のブログ

 本家のチンギスハン切手

 お相撲は、結局、千秋楽を待たずに朝青龍の優勝が決まりました。やっぱり強いですねぇ。


 で、朝青龍の祖国モンゴルといえばチンギスハンということで、以前 、日本占領下の中国・内蒙古地区で準備されたものの、発行されずにおわった“幻の切手”のことをご紹介しましたが、今日はこんなものを取り上げてみます。


 チンギスハン


 これは、1962年、チンギスハン生誕800年を記念して、社会主義時代のモンゴルで発行された4種セットの切手の1枚で、チンギスハンの肖像が大きく取り上げられています。


 社会主義政権時代の歴史は、ひとことでいえば、チンギスハン以来の自国の栄光を否定する歴史でした。


 1921年の革命を経て、1923年に誕生したモンゴル人民共和国は、世界で二番目の社会主義国=ソ連の衛星国として、国民に単一のイデオロギーを強制します。これに伴い、伝統的な宗教や文化は迫害され、モンゴル語は、伝統的なモンゴル文字ではなく、キリル文字(ロシア文字)で記述されるようになりました。


 こうした状況の中で、民族の英雄チンギスハンは、“民族主義”の象徴であると同時に、ロシアや中国を征服した“侵略者”として、社会主義政権にとって最大のタブーになってしまいます。このため、チンギスハンへの愛着を拭い去れない多くの国民は、面従腹背の生活を強いられていました。


 さて、1956年、フルシチョフがスターリン批判を行い、ソ連が柔軟路線をとるようになると、モンゴル国内では、“民族主義”に対するソ連の圧力が緩むのではないかとの期待が高まります。そして、1962年、モンゴル国内では、ソ連を刺激しないよう、純粋に学術的・文化的な分野に限定して、チンギスハン生誕800年の各種記念行事が企画されます。今回ご紹介している切手も、その一環として発行されたものです。


 しかし、純然たる学術研究の目的に限定して行われたチンギスハン生誕800年の記念シンポジウムの席上、ソ連からは祝電ではなく、“不快感”をあらわにした電報が届けられます。“宗主国”の不興を買ったことに慌てたモンゴル政府は、さっそく、各種行事の責任者であった政治局員、トゥムルオチルを解任。さらに、行事に関与した学者や文化人が多数、粛清されました。


 当然のことながら、記念切手の販売もただちに中止され、手持ちの切手を郵便に使用することも禁じられました。特に、4種セットのうち、チンギスハンの肖像を描いた切手は、モンゴル国内の切手収集家や切手商の間からも完全に姿を消し(所持していることが分かると、処罰の対象とされたという)、“幻の切手”といわれるようになりました。


 ただし、これらの切手は廃棄されてしまったわけではなく、モンゴル郵政の関係者は、チンギスハンが復権する日を夢見て、ひそかに切手を保管し続けました。そして、それは1989年に劇的な復権を果たすのですが、その辺の事情については、次に朝青龍が優勝した時にでもご説明することにしましょう。