鳩山一郎の葉書 | 郵便学者・内藤陽介のブログ

 鳩山一郎の葉書

 昼食をとりながらTVを見ていたら、自由民主党(自民党)が結党50周年を迎えて記念式典をやったというニュースが流れていました。それを見て、こんなものが手元のストックにあったことを思い出しました。


 鳩山一郎の葉書


 この葉書は、自民党の初代総裁となった鳩山一郎が差し出したものです。


 葉書が差し出されたのは、1953年9月のことで、この時点ではまだ自民党は影もかたちもありません。というよりも、この時期の鳩山は、吉田一郎の自由党と袂をわかって“鳩山自由党(分党派自由党)”を結成しており、同年4月の選挙(有名なバカやロー解散に伴う選挙です)では吉田の自由党と戦っています。


 鳩山と吉田の確執のルーツは、1946年の戦後最初の総選挙で日本自由党総裁の鳩山が組閣目前で公職追放になった際、追放解除となった暁には鳩山が総裁に復帰するという約束をしたうえで、吉田が自由党総裁に就任し、首相になったことにあります。その後、1951年に鳩山の追放は解除されますが、彼はその直前に脳梗塞で倒れ(葉書の文字が震えているのは、その後遺症のためかもしれません)、吉田がそのまま総裁・首相の座にとどまったことから、鳩山周辺のグループの反吉田感情が沸騰。両者の対立は、講和条約の発効に伴い、戦前からの大物政治家が続々と政界に復帰を果たしていく中で、憲法改正問題や外交路線、政治的背景の対立なども絡んで、泥沼の抗争へとつながっていきました。


 その後、鳩山は一時的に吉田の自由党に復党したものの、再び離党。1954年に日本民主党を作って、ついに、宿敵・吉田を退陣に追い込みました。しかし、少数与党政権で政権基盤が安定しなかったことに加え、社会党の勢力伸張に対抗する必要もあり、1955年、自由党と民主党が合併(保守合同)し、現在の自民党が誕生しました。初代総裁は鳩山です。


 その昔、この葉書を含めて、歴代の総理大臣経験者の名前で差し出された手紙類を集めて1冊の本が出来ないものかと考えたこともあるのですが、現在までのところ、実現にはいたっていません。まぁ、その手の手紙類のうち、残されているものの大半は、印刷された選挙関係のものですから、並べてみたところでカバーとしての面白さはあまりないのですが、読み物としては、それなりに面白いものができるやもしれません。このブログをお読みの出版関係者の方の中で、そういう企画にご興味をお持ちの方がいらっしゃったら、一度、ご連絡いただけると幸いです。