東京→大阪 | 郵便学者・内藤陽介のブログ

 東京→大阪

 昨日は、(財)日本郵趣協会の大阪南、布施、八尾、堺、河内長野、平野の各支部を中心に開催された“大阪南部地区合同郵趣例会”(平野郵便局で開催)にお邪魔して、先月刊行の拙著『皇室切手 』を題材とした簡単なトークを行い、あわせて本の割引販売とサイン会をさせていただきました。


 おかげさまで、84名ものお客様にお集まりいただき、講演は盛況のうちに無事終了となりました。また、用意した『皇室切手 』20冊はおかげさまをもちまして完売となり、うれしい限りです。いろいろと面倒を見ていただいた関係者の方々、なかでも、平野支部の中尾謹三さんには、この場をお借りしてあらためてお礼申し上げます。


 どういうわけか、僕はこれまで大阪に行くチャンスがほとんどなく、道頓堀も実際には見たことがないという始末なのですが、これを機会に、大阪の方々ともお付き合いが広がっていけばなぁ、と思っています。

 

 というわけで、今日は単純素朴に、東京から大阪宛の郵便物として、こんな画像をアップしてみました。


 龍カバー


 このカバーは、明治4年に発行された日本最初の切手である“龍文切手”の200文を2枚貼って、明治5年2月に大阪宛に差し出されたものです。元の所有者が展示のためにカバーを開いているため、切手に押されている、テン書体で“検査済”の文字が入った東京の消印が欠けているのが残念ですが、“壬申二月十三日・東京郵便役所”の朱印はバッチリ押されています。


 世界最初の切手であるペニーブラックと日本最初の切手である龍文切手に関しては、いつかは、見栄えのいいカバーを手に入れなければ…と思っていたのですが、ペニーブラックのほうはともかく、龍文切手のカバーはそれなりの値段がするので、なかなか買えずに、長い間、二の足を踏んでいました。それが、2~3年前、東京の歴史を題材とした企画展示を作ることになり、清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったのがこのカバーです。(なじみの切手商さんに、大分おまけしてもらったのですが、それでも、僕にとっては結構な金額でした)


 その後、なんだかんだいって、日本最初の切手のカバーということでマスコミから問い合わせや原稿の図版などで活躍する機会も少なからずありましたから、そういう意味では、十分に元をとったといえるかもしれません。


 じつは、昨日の講演のときに、日本最初の切手が天皇の肖像ではなく龍になったいきさつを説明するための題材としてこのカバーをもって行こうかとも思っていたのですが(東京→大阪、ということもありますしね)、朝寝坊して自宅の机の上に置き忘れたまま、出かけるという失態をやらかしてしまいました。そこで、昨日のお礼をこめて、遅ればせながら、今日のブログに画像をアップしてみたという次第です。