和製チンギスハン | 郵便学者・内藤陽介のブログ

 和製チンギスハン

 大相撲の九州場所が始まりましたが、今場所もまた朝青龍の優位は揺るがなさそうです。

 

 で、朝青龍の出身国・モンゴルといえば、なんといってもチンギスハンが最大の英雄ですが、そのチンギスハンにまつわるものの中で、ちょっと毛色の変わった“切手”をご紹介しましょう。


 チンギスハンのエッセ


 これは、日中戦争の時代、日本軍の占領下の内蒙古で作られた蒙古連合自治政府(蒙疆政権)が発行しようとした切手の試作品で、実際には切手として発行されることはありませんでした。


 1930年代の内蒙古では、モンゴル族の王族である徳王を中心に中国からの分離・独立を求める動きがありました。彼らは、“敵の敵は味方”のロジックに基づいて日本に接近しますが、日中戦争が始まると、日本軍の占領下で親日政権を樹立します。当初、親日政府は、察南・晋北・蒙古連盟の3自治政府に分かれていましたが、1939年9月、蒙古連合自治政府として統合されます。そして、この統一政権の自立性を内外にアピールする目的で、今回ご紹介しているチンギスハンの像をはじめ、さまざまなデザインの“切手”の製造が、日本の民間印刷会社であった日本精版に発注されました。


 こうして、日本精版は試刷品をつくるのですが、1941年に太平洋戦争が始まり情勢が悪化したことや、同じく日本占領下の親日政権であった南京の汪兆銘政府の抗議(汪兆銘政府のみならず、蒋介石の国民党も毛沢東の共産党も、内蒙古は中国の不可分の領土であることを主張していた)、蒙疆政権側の担当者の交代などにより、この試刷品は陽の目を見ずに終わっています。


 そういえば、戦前、日本が“満蒙”の権益を主張していた時代には、平泉で討ち死にしたとされる源義経が大陸に渡ってチンギスハンになったという伝説(この伝説そのものは、江戸時代の歴史書にも登場する)が盛んに喧伝されていたことを思い出しました。僕は見ていないのですが、イマイチ、人気が盛り上がらないとされる大河ドラマの「義経」も、いっそ、朝青龍の勢いにあやかって、最後はチンギスハンになるというオチをつけて見たら面白いかもしれません。フィクションと割り切ってしまえば、目くじらを立てる人もいないでしょうし、それなりに見ごたえのあるものができるようにも思うのですが…まぁ、そういうことはやらないんでしょうけどねぇ。