カリグラフィ | 郵便学者・内藤陽介のブログ

 カリグラフィ

 昨日は『コーランの新しい読み方』(晶文社)のカバーを取り上げ、そこに取り上げた切手にはコーラン第48章第29節(ムハンマドはアッラーの使徒である。彼と共にいる者は不信心の者に対しては強く、挫けず、お互いの間では優しく親切である)が記されていることをご説明しました。


 イランは、コーランのこの章句を、翌1987年の切手にも取り上げているので、両者を並べてみましょう。


 コーラン(1986年)    コーラン(1987年)


 1986年の切手がこの章句の主要な部分を3行に分けて書いているのに対して、1987年の切手では円形にレイアウトしているという違いはありますが、どちらも、アッラー(神)の文字を頂点に置き、神から啓示が下っているという基本的な構造は共通しています。


 ムスリム(イスラム教徒)にとって、コーランの章句は神の言葉ですから、それを書き記す文字も神の言葉にふさわしく美しいものでなければならないとの考えから、書道が発達しました。(なお、偶像崇拝が厳格に禁止されたため、絵画・彫刻が敬遠されたという背景事情も否定はできませんが…)


 こうしたことから、イスラム諸国の切手には、さまざまなカリグラフィ(書道)が取り上げられることが少なくありません。もっとも、現在の切手に取り上げられるカリグラフィの中には、コーランとは無関係な書道芸術の作品も少なくないのですが、さすがに、“イスラム共和国”を名乗っているイランで発行されるカリグラフィの切手は、コーランの章句を題材としたものが主流を占めています。


 今回ご紹介している2点もその一部で、コーランの内容をストレートに表現したものとして、1986年の切手を『コーランの新しい読み方』の表紙に使いました。


 欲をいうと、『コーランの新しい読み方』では、コーランがアラビア語であることをふまえて、できれば、アラブ諸国で発行された切手を使いたかったのですが、かの国々にはあまり良いものがなかったのでしかたありません。まぁ、この点を他人様から突っ込まれることがあったら、「中世のイスラム全盛期に活躍した文化人の相当部分は、アラビア語を外国語として学んだイラン系の人たちだったから、イランの切手でも問題はないのだ」と開き直ってみることにしましょう。