英國大使舘情報部からニュージーランドへ | 郵便学者・内藤陽介のブログ

 英國大使舘情報部からニュージーランドへ

 今日は、国際異文化学会の大会で「切手の中の1945年」という発表をします。タイトルを見ていただければお分かりのように、10月28日から東京・池袋のサンシャイン文化会館で開催の<JAPEX >に出品予定の「“戦後”の誕生」の前宣伝を兼ねた発表です。


 僕の場合、学会発表や学会誌への投稿というのは、自分の活動のプロモーション活動の一環と考えています。すなわち、新しく本が出るとか、何か大きなイベントをやるとか、そういう機会の前に宣伝を兼ねて、本なりイベントなりの“おいしいところ”を紹介するために、学会という場を利用するわけです。こうした学会の使い方には異論をお持ちの方もおありでしょうが、(少なくとも現状では)僕の本業はあくまでも本を書くことですから、全ての社会活動は何らかのかたちで本業とリンクさせたいと考えるのは当然のことと僕は考えています。


 発表の題材は、11月1~10日の「反米の世界史」展の中からとっても良かったのですが、申し込みの時点では、発表の時点ではブツが展示用のパネルにセットされている可能性があったため(現実には、まだパネルの制作作業は完了していません)、安全を見て、“1945年”を選びました。


 さて、国際異文化学会の方々は、英米文学系の方が主流ということなので、ぜひとも取り上げたかったのですが、結果として時間切れで取り上げられなかったマテリアルが↓です。


 ニュージーランド軍


 このカバー(封筒)は、第二次大戦の終戦後まもなく、1945年9月に業務を再開した東京のイギリス大使館から差し出されたニュージーランド宛の軍事公用便です。残念ながら、中身は入っていなかったのですが、左下の“英國大使舘商務官”や右上の“英國大使舘情報部”などのスタンプからすると、日本の状況についてのレポートのようなものが入っていたのではないかと推測されます。


 8月4日の記事 でも書きましたが、終戦後、日本に進駐した“連合軍”の圧倒的多数は米軍でしたが、少数ながら、英連邦軍も広島県を中心に進駐していました。この英連邦軍の中には、もちろん、イギリス本国の部隊も含まれていましたが、オーストラリア、インドやニュージーランドなどの部隊が相当数を占めていました。これは地理的な関係を考えてみれば当然のことで、以前の記事でご紹介したBCOF切手がオーストラリア切手に加刷したものであったのも、その必然の帰結といえましょう。


 ところで、日本に進駐した英連邦軍関係のマテリアルの大半はオーストラリア関連のモノで、ニュージーランドがらみのものとなると、とたんに残存数が少なくなります。そうしたこともあって、戦後すぐのニュージーランド宛のこのカバーは、BCOFのカバーとペアで見せると非常に収まりがよく、展示などの際には非常に重宝しています。


 いずれにせよ、太平洋戦争は、日本がアメリカ・イギリスと戦った戦争ということになっていますが、その“イギリス”のなかには、いわゆる英本国だけではなく、オーストラリアやニュージーランドの兵士たちも少なからず含まれていたわけで、こうした視点から、あの戦争を見直してみると、従来とは違った歴史像が見えてくるような気がします。来年は日豪交流年ということなので、なにか、そういうかたちの仕事ができればいいな、とぼんやり考える今日この頃です。


 さて、くどいようですが、今週金曜日10月28日から東京・池袋のサンシャイン文化会館で開催の<JAPEX >では、今年が戦後60年ということにちなみ、“1945年”にスポットをあてた特別展示を行います。僕も“戦後の誕生(仮題)”と題する作品を出品しますが、作品では、このカバーも含め、大日本帝国の終焉をさまざまな角度から再構成しようと考えています。是非、月末は池袋にお運びいただき、“1945年”の企画展示をご覧いただけると幸いです


 *右側のカレンダーの下のブログテーマ一覧に1945年 ( 36) のコーナーを作って、特別展示“1945年”に関連する過去の記事をまとめてみました。展示の予告編としてご覧いただけるようになっていますので、よろしかったら、クリックしてみてください。